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崖の上の海軍大将 [スローライフ]

今から約3年前に、「最後の海軍大将」こと井上成美提督の旧宅を訪れたことがあります。
なぜ、今頃になって、そのことを書くのかといいますと、ただ単に当時はまだブログを開設していなかったからです。
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私がこのアドミラルに興味を持ったきっかけは、ご多分に漏れず、阿川弘之氏の代表作である海軍提督三部作の中の一冊『井上成美』を読んでからのことです。
「三角定規」というあだ名が付いていたほど頭がシャープな人で、太平洋戦争末期には秘密裡に終戦工作を画策・推進した、我が国にとって恩人ともいえるような人ですが、詳しくは阿川氏の著作を読んでくだされば、井上提督のほとんどのことがわかります。
このように、良くも悪くも「スマートな海軍軍人」を体現した井上提督ですが、私が井上提督に興味を持ったのは、海軍軍人としての視点からというよりも、仮にも歴史の一ページに名を刻んだ人物の住居が、廃墟同然で残されているという事実を知ったからです。
外国はどうかわかりませんが、日本において歴史上の人物に関わる遺構というのは、従来から保存するか壊すかのどちらかなんですよ。
先人を偲ぶ想いがあるならば、地元の自治体辺りが保存に乗り出すのでしょうし、遺族や子孫の事情によって、取り壊される場合もあるわけです(もちろん住み続ける場合もある)。
ですから、井上邸のように、歴史に名を残した人物であるにも拘らず、その主亡き後、まるで亡霊のように中途半端に残ってしまったケースは非常に珍しいと感じたので、取り壊される前に訪れて、自分なりに家だけが残った理由を考えてみようと思ったのです。
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当日は京浜急行に乗って、終点の三崎口まで行ったのはいいのですが、別に観光スポットでも何でもないわけですから、当然行先案内のようなものは全くなし。
どうしたものかと、しばらく駅前でウロウロしてしまいましたが、井上邸が「長井」という場所にあることはわかっていたので、とりあえずそこまで行くバスに乗りました。
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長井は昔ながらの小さな漁港の雰囲気を持つ集落でした。
私個人は「三浦半島」というと、オシャレなリゾート地のイメージがあったりしたのですが、さすがにここまで奥地に来てしまうと、まだ漁村の長閑さを残しておりました。
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さて、長井に降り立ったものの、ここでも井上邸がどこにあるのかわからない。
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ただ、井上邸が海に面した崖の上に建っている写真を見たことがあったので、その写真の記憶だけを頼りに、途中で見つけた丘の上へと続く坂道を上っていきました。
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丘の上は、温暖な気候の三浦半島らしくスイカ畑といくつかの民家が点在しておりましたが、昼間なのに周囲は不気味な静けさが漂っており、歩いていてちょっと怖かったです。
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それはともかく、古いけどモダンな造りの井上邸らしき建物は、一向に見当たらない。
地図もないし、人もいないし、困っていると、スイカ畑の向こうに見える民家に数名の人影らしきものが見えたので、そちらの方向に向かっていきました。
私が家の前までたどり着くと、その家の主人と思われる中年男性が飼い犬の身体を洗いながら、中年女性2名と談笑していました。
どうやら、ご近所同士で立ち話をしていたようです。
私は人見知りが激しいので、見ず知らずの人に話しかけるようなことは苦手なのですが、今回だけは非常事態。
意を決して、彼らの話に割って入るように、井上邸の所在について尋ねると、しばらくの沈黙の後、男性が指で示しながら、井上邸までの道を教えてくれました。
すると、今度は中年女性の一人が「私は近所ですから、ご案内しましょう」といってくれました。
話の腰を折った上に、道案内までさせるとは、なんだか申し訳ない気持ちになってしまいましたが、長井住民の皆様は本当に親切で優しい人達ばかりでした。
中年女性は歩きながら、井上提督について色々と話してくれました。
井上提督のことを、現在でも地元の人達が親しみを込めて「井上大将」と呼んでいることや、生前自宅周辺を散歩している井上提督に近所の人が挨拶すると、海軍時代のように敬礼で返していたことなど、大変興味深い話ばかりで、できれば井上邸がもう少し遠くにあってほしいと念じてしまったほどでした。
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中年女性が「ここです」といって指を差したのは、鬱蒼とした木々の中にポツンと建っている平屋建ての「普通の」民家。
「はて?ここはさっき通ったはずだが・・・」と状況をよく呑み込めないでいると、中年女性は「今、家の人に鍵を開けてもらいますから」といって、その民家のベルを鳴らし、玄関先で住人に何やら話をすると、「では、これで」と私一人を残して、どこかへ行ってしまいました。
ただ井上邸を外から眺めたいだけだったはずが、急激に事態が変わっていくので、私は何が何やらさっぱり理解できずにおりましたが、しばらくして平屋の民家から専業主婦と思われる若い女性が出てきて私に挨拶した時点で、更にわけがわからなくなってしまい、井上邸のことなぞ、どこかへ吹っ飛んでしまいました。
結論から先にいえば、この平屋の民家は紛れもなく井上邸そのもの。
より厳密にいえば、「井上成美の住居だった建物」となります。
ここから先は少々ややこしい話となるのですが、戦後になって井上提督は、海軍兵学校校長時代の元教え子が経営する会社の顧問に就任しており、月々会社から顧問料が井上提督に支払われておりました。
しかし、「顧問」というのはあくまでも便宜上の肩書で、実際は井上提督を思慕する元教え子が経済的に困窮していた井上提督を金銭的に支援するための口実だったのです。
ところが、何事にも清廉潔白な井上提督は、元教え子から顧問料という名の支援金をもらい続けるのもよしとせず、せめてものお礼として、自分達が住んでいる家と土地を元教え子に譲りたいという提案をしたのです。
せっかくの井上提督からのご提案でしたが、交通が不便で老朽化が甚だしい井上邸は、あいにく資産的価値がほとんどない状態。
「このような無用の長物をもらっても・・・」と元教え子も困り果てたようですが、海軍OBの助言もあり、結局会社として井上邸の土地と建物を丸ごと買い取り、井上提督夫妻には「管理人」という立場で、これまでと変わらず住み続けてもらうことにしたのです。
その後、昭和50(1975)年に井上提督は86歳で亡くなりますが、井上提督の後を追うように、まもなく奥さん(戦後再婚した妻)も亡くなってしまいました。
恩師に対する「義理」で購入した資産価値のない井上邸は、会社としても全く使い道がなく、一気に住人がいなくなった昭和50年代以降は、放置されたままの状態となり、荒廃の一途を辿ることになってしまいました。
つまり、井上提督の家が廃墟同然となった理由は、ここら辺にあったのです。
話を当日に戻しますと、専業主婦と思われる若い女性の正体は、元教え子の次男の嫁。
どういう経緯なのかはわかりませんでしたが、とにかく井上邸を改修して、次男家族で東京から引っ越して住むようになったのだそうです。
で、改修の際に、井上提督のお気に入りであった暖炉のある部屋をそのまま残したので、これからそこへ私を案内するために、若奥さんが出てきてくれたというわけです。
ようやく、事態が呑み込めた・・・。
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建物の一角にある重厚な扉を古めかしい鍵で若奥さんが開けると、そこは井上邸の玄関だったところで、入ってすぐの所に暖炉のある部屋(居間?)がありました。
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もちろん、部屋の中はガランとしていて、井上提督が住んでいた面影を偲ぶことはできませんでしたが、部屋の窓からは東京湾を一望することができ、正に『崖の上のポニョ』状態(笑)。
確かにこの開放感あふれる景色を見てしまうと、今の感覚だったら、多少生活に不便でも住みたいと思いますね。
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若奥さんの話によると、現在でも旧海軍関係者や私と同じく阿川氏の著作を読んで訪れる若い人達がいるようで、その度に若奥さんが暖炉のある部屋へと案内しているのだそうです。
しかし、一方でこの若夫婦の家族が井上邸を改修して移り住む時に、旧海軍関係者との間で一悶着があったことも確かで、すっかり今風のオシャレな家となってしまった井上邸に対して複雑な心境を抱く人もいます(無論、当日はこのことを話しませんでした)。
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まぁ、そうはいっても、改修前の井上邸はいつ自然崩壊してもおかしくないほど老朽化が酷く(海に近かったため、塩害によって急速に老朽化した)、室内もネズミやらダニやら埃やらが凄かったそうですから、結果的にこれでよかったと思います。
普通だったら、即解体処分ですからね。
さて、現在の旧井上邸は、更に室内を整備して、「井上成美記念館」として、一般に開放しているそうです(注:見学は要予約)。
また、近くには「長井海の手公園 ソレイユの丘」という、大変美しい風景が展開されている公園もあり、観光で訪れても飽きることはないです。
観光がてら、「帝国海軍きっての知性」といわれた提督を偲ぶのも、悪くないかもしれません。